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東京高等裁判所 昭和45年(う)2318号 判決

被告人 安田進一

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人山田重雄、山田克己連名提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用し、これに対し当裁判所は次のとおり判断する。

控訴趣意第一点の一について。

論旨は、原判決は、判示第一の業務上過失傷害の事実について、被告人が原判示大型貨物自動車を運転して有明通り方面から岸壁方面に後退しようとした際、自車の後方の安全を確認しつつ進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠つてその安全を充分確認しないまま漫然と後退した過失により、自車の後退方向と同一方向に歩行していた鎌田隆夫を見落した旨認定しているが、被告人には右認定の如き過失はないから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があると主張する。

よつて、所論に鑑み、原審記録を調査して検討するに、原判決挙示の証拠によれば、所論過失の点を含めて原判示第一の事実は全てこれを肯認することができ、原審記録および当審事実取調べの結果に徴しても原判決には所論のような事実誤認は存在しない。すなわち、被告人は原審公判廷において原判示第一の事実に対応する公訴事実を全て自白し争つていないのみならず、右証拠によれば、被告人は自己担当の普通貨物自動車(二・五トン車)を運転して勤務会社の中外興運株式会社作業所入口近くまできたが、同会社勤務の乙部喜市が、その運転する原判示大型貨物自動車(七トン車)を、自動車の前部を有明通りに向けて、しかもその右後部を右作業所入口西側のコンクリート塀の外側に幅五、六米位に亘つて積んであつた材木に接触するようにして、キーをさしたまま駐車させて右作業所内で休憩していたため、これが妨害となつて右作業所内に進入することが困難であつたところから、これを移動させようとして自車から降りて、右大型車に乗つたが、右材木のためそのまま後退できないので一たん約七米前進した上、司法警察員作成の実況見分調書添付図面の〈2〉の地点から時速約一〇粁の速度で後退を開始したのであるが、その際車が大型貨物自動車であつて運転台から後方の確認が十分できないのに、後方の安全を確認しないまま漫然後退を開始したため、後退方向と同一方向に歩行していた鎌田隆夫を発見できず、右図面の〈3〉の地点(右〈2〉から一〇・八米の地点)で、バック、ミラーで右後方を見た時、同図面の〈ア〉の地点(右〈3〉から六・九米の地点)に被害者鎌田の足と上半身を発見し、危険を感じて急制動を施したが、間に合わず同人に衝突、原判示傷害を負わせた事実を認めることができる。所論は、被告人は、右後退に当つては、後退方向左側は運転席から顔を出して見ており、その右側はバック、ミラーで見て安全を確めつつ後退したのであるが、被告人が衝突寸前まで右鎌田の存在を認識できなかつたのは、同人がその時まで右大型貨物自動車のすぐ後に立つていたか或は体を屈めるかしていて同車の死角範囲内にいたためであると主張するが、いやしくも七トン積の大型車を運転して後退する場合には、自車の背後に死角範囲が生ずることは自動車運転者としては当然判つているべき筈であるのみならず、被告人は七トン積の大型貨物車の運転免許は受けておらず、従つてこれが運転に慣れていないことをも併せ考えると、右後退にあたり死角範囲内に人間の不存在を確認しないで、漫然後退するというが如きは、軽卒のそしりを免れないというべきである。所論は、本件事故現場は、一般の交通の用に供する場所、換言すれば、現に不特定多数の人、車両等の交通の用に供されている場所の実体を備えていないといい被告人は、本件事故現場が道交法にいう道路とは認識していなかつたと主張する。なるほど、本件事故現場が公簿上東京都江東区有明一丁目六番一〇所在宅地内で、有明通りに接する間口約一五米、奥行約一〇〇米の土地内であり、その一番奥は岸壁で行き止まりとなつており、その右側(北側)には東京港木材倉庫株式会社の事務所及び貯木場(材木置場)があり、その左側(南側)には東武不動産株式会社の事務所、工場及び中外興運株式会社の作業所があり、両者に囲れたいわゆる袋地であることは、所論主張のとおりであるが、しかしながら、本件事故現場が公簿上宅地内であることは、道交法二条一号にいう道路であることを妨げるものではないし、(証拠略)によれば、本件事故現場は、通称有明通りから西に這入る幅員約一五米の未舗装の土地内にあり、該土地は明らかに道路の外観を呈しているのみならず、有明通りからこれに這入る境界には柵などの障害物は施されておらず、一般の人も車両も自由にこれに出入できる状況であり、その突端は船付場の岸壁となつていて筏を見物に来る人の車両が自由に出入りしていることが認められるし、また所論も自認しているように、右場所は、前記東京港木材倉庫株式会社、東武不動産株式会社の貨物自動車が材木等を運搬するため日常通行しているのみならず、被告人が勤務する中外興運株式会社の貨物自動車も、同会社の紙を運搬するため、本件衝突地点の手前約一〇米の左側にある同会社作業所通用門に出入する必要上、日常通行しているのであるから、不特定多数の車両が通行し得べき場所であり、従つて以上を綜合すれば、所論のように単に前記各会社の材木置場、作業所等の構内の如き外観を呈しているというのは相当ではなく、右場所は、道交法二条一号にいう「一般交通の用に供するその他の場所」に該当し、従つて同条号にいう道路に当たると認めるのが相当である。更に所論は、被害者である鎌田隆夫も本件事故当日は、有明通りに駐車し徒歩で右土地に入って来たのであるが、若し当時右土地が一般第三者でも自由に出入りできるような道路の外観を呈していたならば、同人としても態々交通の激しい有明通りに駐車することなく、右土地に自動車を乗入れていたであろうことが容易に推認できるというけれども、右土地が一般第三者でも自由に出入りできる道路の外観を呈していることは、前認定のとおりであり、右鎌田において有明通りに駐車し、徒歩で右土地に入つて来たのは、前述の如く中外興運株式会社作業所の入口近くに材木が積んであり、その傍に原判示大型自動車が駐車していたため、自動車を乗入れることが困難であつた故であると認めるのが相当であつて、所論のように本件土地が一般第三者でも自由に出入りができる道路の外観を呈していないためであると認むべき証拠はない。また、所論は、被告人は、本件事故の直前、自己担当の貨物自動車を運転し、有明通りから中外興運株式会社の作業所通用門に向かつて約三〇米進行し、そこで降車してから約一〇米前方にあつた本件大型貨物自動車に乗り換えたのであるから、有明け通りから右大型貨物自動車の停車位置まで約四〇米の間、必然的に前方、即ち右大型貨物自動車の後退方向を見ていたのであるが、その方面には右大型貨物自動車の外に車両及び歩行者が全然見当らず、しかも同車は自己の勤務会社である中外興運のもので、紙の運搬作業に使用されていたことを熟知していたところ、同車の死角範囲内で人が同車の両側及び後方に積まれていた材木や原木の搬出作業をしていることは考えられない状況にあつたから、被告人が後退をした当時、本件衝突事故発生の一般的予見可能性は皆無であり、被告人自身も勿論これを予見していなかつたのであり、従つて被告人が本件大型貨物自動車に乗車する前に、その後方に行くなどして死角範囲内に人がいるか否かを確認することまで注意義務の内容として要求することは酷に過ぎ妥当を欠くと主張する。しかしながら、右大型貨物自動車の後退方向は他の車両がなく、右大型車が中外興運の自動車で紙の運搬作業に当たるものであり、その車の死角範囲内で所論のように人間が材木や原木の搬出作業に従事しているとは考えられない状況にあつたとしても、同場所が一般第三者が自由に出入り出来る場所であることは前述のとおりであるのみならず、現実に材木や原木の搬出作業には従事していないでも、右大型車の死角範囲内に人間がいるかも知れないことは、いやしくも自動車を後退させる運転者としては当然これを予期してその安全を期すべき注意義務があるものというべきであつて、この義務を被告人に期待したからとて所論のように酷に過ぎるということはできない。また、自車の背後の死角範囲内に何らかの障害が存しないか否かを確めず、後退するなどというのは、危険至極な運転態度であるといわざるを得ない。更に所論は、鎌田隆夫の司法巡査に対する供述調書によれば、同人は衝突の直前まで、写真撮影の適当な被写体を求めて、本件自動車の間を通り抜ける等して衝突地点を右往左往していたことが窺われるから、同人は被告人が右大型車の運転席に乗り移る間、或は、その後、後退のため後方の一方の安全を確かめている瞬時の間に、それまで被告人の所在場所から認識できなかつた材木等の物蔭から前記死角範囲内に移動したことも容易に推認できるところであり、従つてこのような場合にも、なお被告人に後方安全の確認を期待することは不能を強いるものであると主張する。しかしながら、右鎌田の司法巡査に対する供述調書記載によれば、同人は本件大型貨物自動車の横を通り抜け、これを背にして前方の岸壁の方に向い、写真撮影の適当な被写体を求めて右側に積んであつた材木や岸壁の方を見ながら、ゆるやかに歩行して行つた事実が認められるだけであつて、所論のように衝突地点を右往左往したり、或は被告人の認識できない材木等の物蔭から突然被告人が乗つた右大型車の死角範囲内に這入つたという事実はこれを認め難いから、右所論はその前提において失当である。以上要するに、被告人には原判決認定の如き過失はないとする論旨は、全て理由がない。

控訴趣意第一点の二について。

論旨は、原判決は、判示第二において、被告人が原判示場所で自車の洗車の障害になるため、自己の有する運転免許外の大型貨物自動車を約二〇米前進後退させた行為をもつて、道交法六四条、一一八条一項一号に該当すると認定しているが、これは明らかに判決に影響を及ぼすべき事実の誤認または法令の解釈を誤つたものである。すなわち、右法条にいう運転とは、同法二条一七号に明規するとおり、道路において、車両をその本来の用い方に従つて用いることをいうのであるが、本件事故当時、事故現場は、控訴趣意第一点の一に記載したとおりの客観的状況であり、しかも公簿上は宅地内であつたのであるから、道交法にいう道路の要件を充たさず、被告人も同所が道路であるとの認識を全く欠いていたし、更に道交法一条の法意に徴し、運転といいうるためには、その状態が社会常識上妥当と思われる程度の時間的時続及び空間的距離を要するものと解すべきであり、しかるに被告人の本件行為は、前述の如く社会常識上道路とは云い得ない場所において、しかも自車の洗車作業上障害となるため、障害物を除去する意思で、原判示大型貨物自動車を僅か二〇米位、前、後進させたに過ぎないものであるから、かかる行為は道交法の規制の対象外の行為であると解すべきであると主張する。しかしながら、本件事故現場の客観的状況と交通状況は、前述のとおりであつて、道交法二条一号にいう「一般交通の用に供するその他の場所」に該当し、同条号にいう道路に当たると認められ、本件事故現場が公簿上宅地内であることは右認定を何ら妨げるものでないことは前説示のとおりであり、被告人の検察官に対する供述調書においても、本件事故現場付近は、被告人が勤務している中外興運株式会社の車両の通路になつており、同会社の車両が車庫に出入りする際に通行していた旨供述している位であるから、被告人は事故現場附近の状況は熟知していたのであり、同所が道路であるとの認識を全く欠いていたとの所論は採用できないし、被告人が大型貨物自動車の運転免許を有しないで、これを運転した以上、その目的が所論のとおりであり、またその距離が僅か二〇米位、前、後進させたに過ぎないにしても、車両の本来の用い方に従つてこれを用いた事実には何ら変るところはないから、原判決が原判示第二の事実を認定し、これに対し所論法条を適用したのは、相当であつて、この点につき所論のような事実誤認ないしは法令解釈の誤りは存在しない。それ故、論旨は採用できない。

控訴趣意第二点について。

論旨は、被告人が仮に有罪であるとしても、原判決が被告人を禁錮五月の実刑に処したのは、量刑が不当に重いから、原判決を破棄し、執行猶予の判決を求めるというのである。

よつて、原審記録を調査し、これに当審における事実取調の結果をも併せて考察するに、被告人が本件大型貨物自動車の運転免許を有しないにも拘らず、これを運転するに至つた経緯、その際後退方向の安全を充分確認しないで後退した過失により、後退方向と同一方向に歩行していた鎌田隆夫を見落し、同人に衝突転倒させ、同人に原判示傷害を負わせたことは、控訴趣意第一点の一について前述したとおりである。元来被告人としては、大型貨物自動車の運転免許はないのであるから、法令に従い自らこれを運転しようとせず、同車が妨害になるのなら、同車が自己勤務会社の自動車であることを熟知していたのであるから、直ちに自動車から降りて作業所内に行き担当運転手を探してこれに運転後退させるようにすればよかつたのであるし、また、運転免許がない不慣れの自動車を運転後退するのであるから、後退方向について充分その安全を確認すべきであつたのに、これを怠つて漫然と後退したのであつて、その過失の程度、態様は決して軽いとはいえないわけであるし、被害の結果も加療約九ヶ月間を要する右骨盤骨折等の傷害であつて、これまたかなりの重傷である。以上を綜合すると被告人の刑責は軽視できないといわねばならない。所論は、本件事故は被害者の重大な過失との競合によつて惹起されたものであると主張するが、鎌田隆夫の司法巡査に対する供述調書によれば、同人においても写真撮影のため適当な被写体を探しながら原判示自動車に背を向け岸壁の方に向つて歩るいており、被写体の選択に注意を奪われ、後方自動車の動静に充分の注意を払わなかつた落度があることが認められるが、この落度と雖も所論が主張する程重大な過失とまでは認め難い。その他弁護人が被告人に有利な事情として主張する、被害者の負傷の治療、示談の成立、示談金の支払、被害者の宥恕、被告人の家庭の事情等の諸事情を充分考慮に入れても、原判決の量刑が重きに失し不当であるとはいえず、執行猶予に付すべき案件とも認め難い。それ故量刑不当の論旨も理由がない。

よつて本件控訴は理由がないので刑訴法三九六条に従いこれを棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

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